ただ今seedsでは、保養ピクニックの打ち合わせや活動を一緒に行っていただけるボランティアスタッフを大募集中!です。
また保養ピクニック当日のお手伝いをして頂ける 当日参加ボランティアスタッフも大募集中!です。」
スタッフ参加して頂ける方は、こちらまで!!
(高線量地域での活動はありませんので、年齢、性別、問いません)
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【お問合せ】事務局 小泉
090-9707-3313
2016年2月保養ピクニック
2015年10月保養ピクニック
2015年9月保養ピクニック
2015年2月保養ピクニック
2014年12月保養ピクニック
2014年11月保養ピクニック
SEEDS OF HOPEでは日本各地で災害が起きた際、現地へ行き、泥だし、瓦礫処理などの復興支援を行っています。
2013年11月 台風26号 土石流災害 伊豆大島
2013年10月15日から16日にかけて台風26号の影響で伊豆大島を始め関東地方の各地に被害を及ぼした。
特に、伊豆大島は多く方が犠牲となる被害が出ました。
災害発生当初は現地に入った災害NGO結と連絡を取り合い、情報提供や、物資の支援を行った。
初日の活動は、災害当初から地元で頑張り続けた方の応援で重機を乗ることになった。いきなり家を解体してくれということでちょっとびっくり。
その後は地元の方と協力しながら重機作業をメインとして活動を行った。
解体した家 解体後 災害ゴミの積込
災害から1ヶ月となったが未だに泥が残った家がある。家主の方と相談しながら泥だし、片づけなどを行った。
畑の再生は一般的な災害では後回しになるが大事にしてきた畑をボランティアさんが多く参加していただける時にやってしまおうと畑の再生も行う。
30㎝以上積もった泥も多くのボランティアさんできれいにすることができた。
多くのボランティアさんが集まる。特に、地元の方のボランティアさんが多く頼もしい。中には小さな子供たちも。
いつも保養に参加してくれるノブも活躍!
島を出る前にダイビング関係の方々がご苦労さん会に誘っていただいた。
SEEDSの保養キャンプの紹介をし、いつか伊豆大島で保養ができるといいな!
とお話をさせていただくと、是非に!と言っていただけた。うれしい!
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2013年9月 台風18号災害 京都福知山、京都南禅寺、滋賀高島市
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9月16日台風18号による被害が関西地方を中心に広範囲で起こった。
9月20日大きな被害のあった京都福知山へ現地入りすることに。
大きな被害のあった地域にはすでにボランティア派遣が始まっていた。そこで被害があったであろう地域にニーズ調査を行う。
20日の夕方、ボランティア仲間から連絡があり、京都南禅寺でボランティアリーダがいないということで急遽京都入り。夕方から現地入り。
南禅寺近くの集落に水路が氾濫し床下、床上浸水。被災戸数は数件。
床下泥だし、床板はがしなどを行う。
翌日は土砂災害の大きかった滋賀県高島市へ入る。
土砂の量も多く被害は甚大。ボランティアコーディネイト。泥だし段取り。床はがしなど行う。現地サテライトの運営のお手伝いなど行う。
2013年9月 越谷竜巻
9月2日に発生した越谷市の竜巻ボランティアに行ってきました。
すでに石巻女川のpikari支援プロジェクトさんがサテライトを立ち上げていました。竜巻被害は被災した瓦などの片づけ、雨漏り対策。屋根のシート張りが主な内容。シート張りなどのボランティアを行った。
2013年8月 山口島根豪雨災害
7月28日の豪雨により山口県、島根県で災害が発生した。
8月3日より現地入りしボランティア活動を行った。
現地宿泊場所は萩市にあるキャンプ場。仲間のボランティア宿泊が出来るようテント村を設営。多くの方から食材支援などいただきました。
2012年5月 つくば竜巻災害
平成24年5月6日 茨城県つくば市で竜巻被害が発生した。
5月8日早朝に現地入り。竜巻の性質上、局所的な被害であったが被害は甚大。
被害規模、状況把握に歩き回った。
関東圏ということもあり多くのボランティアが予想される。サテライトの立ち上げ、ニーズ調査などを行う。
写真は災害当初の状況。
多くのボランティア団体、個人ボランティアが活動を行った。
主に、屋根のシート張り、倒壊家屋のかたずけ、飛散したガラス、かわら片などのかたずけ作業を行う。
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2011年9月 紀伊半島豪雨災害
平成23年9月 台風12号による被害が広域に発生した。特に、和歌山県南部、三重県南部に甚大な被害が出た。
9月9日那智勝浦町へ現地入り。すでにボランティア活動は行われていたが特に被害のあった那智谷地区は避難勧告が発令されている為、一般ボランティア派遣されていなかった。
被害状況は甚大で全壊家屋も多く見られる。東北大震災と変わらない光景が一面に広がっている。
行方不明の方もまだ何名もおられ自衛隊、消防と捜索が続いていた。
那智勝浦町でも特に被害の大きかった井関、市野々、八反田地区。
当初は避難勧告が解除されなくボランティアセンターからのボランティア派遣が行われなかった。この地区につながる道路は通行規制が続いていた。
写真は当初の井関サテライト。
避難勧告解除、通行規制解除と共に多くのボランティアが派遣されるようになる。災害発生からほぼ20日たった頃だった。
サテライトも井関保育園に場所を移し本格的に稼動を始める。
ようやく町の様子が変わり始める。
多くのボランティアが集まり綺麗になる町。
一方、まだまだ手付かずの口色川地区にようやくボランティア入る。災害発生から約40日後。写真は口色川地区。
海岸清掃の様子。